2010年 04月 16日
福助くんの坂めぐり。其の49から51
千代田区永田町にある坂で、都立日比谷高校の校門前から、外堀通りへと下ります。港区赤坂にも同名の坂があります。もちろん、こちらの【新坂】も、新しくできた坂ということでその名がつけられています。
標識の説明では『明治9年(1876)の地図には道は入っていませんが、同17年(1884)参謀本部の図では現在に近い道路がみえています。おそらくその頃できた坂でしょう。また、別の名を遅刻坂とも呼ばれていますが、官庁に向かう役人、登校を急ぐ学生がかばんをかかえてかけ上がる風景からよばれたといいます』との記載があります。
其の50【三べ坂(さんべざか)】
ここは参議院議長公邸の脇を下る坂道で、おまわりさんの警備が厳しいです。でも、福助があんまりウロウロしているので、思わずおまわりさんも笑顔です。
標識にはこうあります。『この坂を三べ坂といいます。「新撰東京名所図会」には「華族女学校前より南の方に下る坂を、世俗三べ坂という。昔時、岡部筑前守・安部摂津守・渡辺丹後守の三邸ありし故に名づくといふ」とあります。また、坂上の西側一帯は松平出羽守の屋敷で、松平家が赤坂門の水番役をかねていたところから、門前の坂は、水坂ともよばれていました』
其の51【汐見坂(しおみざか)】
港区虎ノ門にある坂で、旧大蔵省印刷局の脇を下ります。江戸時代中期以前には海が眺望できた坂だそうで(※福助の後ろに海が見えていたのですね!)、南側に松平大和守邸があって、大和坂ともいったそうです。
本日は古い写真でお届けしました。
by fu_ku_su_ke
| 2010-04-16 09:49
| 坂めぐり